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他者への 配慮を そして 支えを 試みる時、
できよう、できまいは、関係なく、
とりあえず、 それを 実行することが 求められる。
完全など、 求めることもなく また、人にはできようはずが ない。
不完全でいい
私心が ある ない と言うよりも
まず
行うことが 最優先 だと 思う。
聖書には、
人のできないことが書いてある
できないのに 書いてある。。。。
何ゆえか
それに 少しでも、近づくことを 求めているからだと 思う。
イエス様を 知った者は、
その御性格に、近づくように求められているし、
応答も、必要。
肉なるひとに 私心など ないという人は いるはずがない
そんな 不完全な状態でも、
他者に、配慮して、支えて 傷つきあうことが たとえ もし あったとしても、
それも、お見通しで あると思うし、
完全にできるなら、まさしく 神に なってしまう。
不完全な 私たちは、不完全な、他者への思いも、赦されるのである。
それを恐れて、無関心を 装う時が、より、破滅的と なる。
また、そこには 信仰なるものが 存在しなくなる。
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